HISTORY
歩んできた道
- 出生
- 鹿児島県にて産声をあげるが大阪で育つ
- 幼少期〜
- 事細かく覚えてはいないがただただ楽しかった。
『絵』を最初に認識したのは兄が家の柱に描いた落書きに嫉妬した時。
褒められる事が嬉しく、母に褒められた『絵』を得意な物と思い込む。
小学校5年生の時に描いた菖蒲の絵がコピーされて全校生徒に配布され、両親以外の人に何かを認めてもらう事の喜びを覚える。絶対にアートの世界で有名になると思った。でも一番楽しかったのは絵を描く事ではなく、木を彫る事だった。
- 高校〜
- 学校は全く楽しくなかったが、塾で出会った数学の先生に憧れ、数学のみ楽しく学んだ記憶がある。
高校3年生の進路面談で母が先生の推薦する進路を全て蹴る。
その日のうちにサプライズで高校の最寄りのアトリエに入校させてもらい、芸術大学進学の夢が開かれた。
心の底から人生を楽しもうと思った。
- 大学〜
- 一浪したものの第一希望の芸術大学に合格した。
造ることが当たり前の環境で事細かく覚えてはいないがただただ楽しかった。
何よりもの思い出は京都から南下し与論島までいった旅だ。
島の事が大好きになる。
- 社会人
- 就職活動は一切せず、知人のPNO団体に所属しデザインを行う。
以前通っていたダイビングショップから勧誘を受け、ショップで働く事に。
諸々あって家業の電気屋を手伝う事になる。
クリエイティブとは少し離れた感はあったが、改めて父の仕事を見られたのはとても良い期間だったと思う。学生時代の友人からの誘いを受け奄美大島へ。
奄美大島へ移り友人兄弟の営むTシャツプリントショップに勤務。2年働き、たまたま知り合った木工業の人に誘われ木工業の世界に入る。
なんだか色々な道を経てきたが、木の世界に戻って来れた感じがして楽しかった。
大阪時代から交際していた彼女と結婚。
3年後に独立し物作りやデザインを行う『KOSHIRAERU』を開業。
働くことは人生を楽しむ事と等しいと気付く。
より人生を楽しむ為にクリエイティブ思考に加え経営思考が必要であると想い、コンサルティングの世界へ。
あるきっかけでフランスへの出展が出来る事に。
世界を目の当たりにし、より多くの価値観や感情、知識を取り入れたいと思い、奄美から空港の近い霧島に移住。
クリエイティブとコンサルティングを行き来し人生を楽しんでいる。